別ブログもやっております! 50年間の役目を終えた「長岡市厚生会館」! その静かなる有終の日々…
「MOANIN' 長岡市厚生会館」

Thursday, December 29, 2011

2010年の夏旅 19/(最終日)金沢


【2010年8月11日(水)】

 金沢駅近くの定宿にて
 今日は一日金沢で過ごして、夜にはいよいよ長岡に帰ろうと思います。


 金沢はよく訪れる町ですが、今まではわりと決まった場所しか行っていませんでした。今回はこれまで行ったことがなかった、主計町・浅野川・ひがし茶屋街あたりに行ってみようと思います。


 近江町市場で、金時草をおみやげに買いました。


 久保市乙剣宮という神社です。ここの水道を借りて新聞紙を濡らし、金時草を包みました。
 神社の裏手を下ると、主計町(かずえまち)の茶屋街と浅野川です。



 神社から主計町に下る「暗がり坂」です。細くくねって、とても雰囲気があります。



 暗がり坂の東隣りには、もう一本の「あかり坂」があります。
 あかり坂を登ってみます。



 あかり坂からの見下ろしです。どこかで三味線を稽古する音が聞こえています。
 尾張町の旦那衆が、夜に主計の茶屋街に繰り出すときに下るのが「暗がり坂」、朝に茶屋から帰ってくるのが「あかり坂」…という話だったと思います。




 主計町は、浅野川沿いに茶屋が立ち並んでいます。川沿いの通りから直行して細い路地があり、そちらは店のサービス側の通路のようです。どちらの道も歩いていて面白いです。
 数年前に浅野川が氾濫して主計町にも被害が出たと聞きました。格子の一部に新しく作られたような気配があるのは、その影響なのでしょうか。


 格子のピッチ


 中の橋から見た浅野川大橋です。すごくいい天気です。
 写真は写真として、僕の頭の中には今でもここからの光景が鮮明に残っています。天気と景色と、旅をしてきた開放感が合わさった心象風景です。



 ひがし茶屋街です。人が大勢出ています。




 「福嶋三絃店」で、三味線の体験ができるというので、入店してみました。
 教本や楽器が置いてあって、音出しができます。三味線には初めて触りました。「沖縄や奄美の三線が変化していったのが三味線だ」と小耳に挟んだことがありますが、さもありなんです。三味線のほうがサイズもずっと大きく、楽器の作りや奏法もより緻密になったという気がしました。




 休憩館やお茶屋文化館「志摩」など、何軒かの町屋の建物に入りました。通り土間や坪庭、1階のみせ廻りや踏み天井、2階からの眺めなどを体験しました。



 金沢でたっぷり過ごした後は、帰りの電車に乗ります。


 直江津駅です。ブレブレ…


 夜9時ころ、宮内(長岡市)に帰り着きました。
 当たり前ですが、アパートは真っ暗です。




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 僕はなぜ旅をしてきたのでしょうか。旅で何を得てきたのでしょうか。
 毎日の体験は、やはり断片の連続です。今回ブログにまとめようと思い、一年以上過ぎてから記録を見直しました。それらの断片にひとつの骨格を与えることはできたかなと思います。僕の現状の課題も少しはっきりした気がします。


 個人的かつ長大な記録にお付き合いいただきまして、本当に感謝いたします。もうすぐ2011年が終わり、2012年となりますが、どうか良いお年をお迎えください。ありがとうございました。




(旅に関する記事は、ラベル「2010年の夏旅」をご覧ください。)

Wednesday, December 28, 2011

2010年の夏旅 18/日本民家集落博物館


【2010年8月10日(火)】 旅の18日目

 大阪府豊中市の服部緑地内に『日本民家集落博物館』があります。
 日本各地から古民家を移築復元してあります。「日本で最初の野外博物館」でもあるようです。
 ここには奄美の高倉も展示されています。喜界島の高倉を思い出しながら、もう一度見てみようと思い、博物館を目指しました。


 入場して、さっそく高倉を見に行きました。
 喜界島で学んできた高倉の構造の基本的法則と、照らし合わせてみます。



 4本ある丸柱の足元を貫と楔で固めます。柱のうち2本の頂部に平らな梁(ムルキ)を渡し、それに直行して大根太(ココノツギ)を9本乗せます。
 この上に小屋組みが乗りますが、それに関してはまだ理解が深まっていません。(僕は高倉に限らず、木造の屋根の架け方への理解が、今はまだ浅いようです)



 下から見上げると、ココノツギが反り上がるような形に加工されているのが印象的です。特に両端の2本は、反りが大きく作られています。



 倉庫内への入り口は1か所です。主に穀類などの食料が貯蔵されたということです。床の一部を網代に編んで通風を取っています。
 出入りは一本梯子で行ないます。喜界島の友人はたしかこう言っていました。「いちどこの一本梯子を上り下りしてみたが、慣れないとたいへん怖かった」と。


 高倉の足元の空間は、人々が集い休む場所としても利用されたようです。


 そして博物館でもう一棟、印象的だったのが、「摂津能勢の民家」(大阪府)です。



 僕が建物に入って感じたのが、なぜか「モダンさ」なのです。
 モダンさの正体は、平面を長手に分割して土間を設けたことにあるようです。これは大阪と京都の境界、摂津や丹波の地方に独特の平面形式だそうです。
 平面を短手で分割して半分を土間、もう半分を田の字型の間取りで座敷などにする古民家は、これまで何度も見てきましたが、「摂津能勢の民家」はそれとはかなり違う印象です。




 建物の規模が小さいことも関係しているかもしれませんが、公的な部屋から私的な部屋までのグラデーションが、土間に沿って並び、とても明快かつ機能的な気がします。


 一般的な古民家の私的空間である「なんど」や「ねま」は、土間から一番遠い位置にあり、また他の部屋を通らずには行けないような場合が多いです。「なんど」には闇の奥を覗き込むような暗さ・妖しさを感じます。(そこがまた古民家の魅力の一つでもあるのですが)


 それに比べ、摂津能勢の民家の「なんど」は、比喩的な意味でかなり「風通しが良い」位置にあるように思えます。もっとも、この家の「なんど」には窓が作られていないようです。開口部は入り口の引き戸しかありません。通風はランマ部と軒天のすき間から取っています。「なんど」の平面上の位置づけには明瞭さを感じますが、実際の空間としては、かなり暗いもののようです。


 だいどこの一角には炉が切られています。土間側からも利用できて、使い勝手のよさそうな位置にあります。良く考えられていると思いました。


 入り口の横には縁側があります。独立してあるというより縁側が建物に組み込まれている印象で、これも計画的なモダンさを感じました。


 流しです。僕は古民家の水廻りの開口部や排水の仕方を観察するのが大好きです。



 ガイドさんと仲良くなって、資料をいろいろ見せてもらいました。「摂津能勢の民家」の元の所有者(泉さんとおっしゃいます)は、今でも正月の時季には博物館に来て、能勢地方の正月飾りを作り、民家に供えていかれるそうです。
 ガイドさんによる正月飾りのスケッチや、独自の研究資料を見せていただきました。


 日本民家集落博物館にはこの2棟の他にも、古民家が移築保存されています。全国のものがありますが、西日本の古民家が充実しているのが特徴のようです。建物名だけ書いておきます。
 ■飛騨白川の民家(岐阜県) ■日向椎葉の民家(宮崎県)
 ■信濃秋山の民家(長野県) ■大和十津川の民家(奈良県)
 ■南部の民家(岩手県) ■越前敦賀の民家(福井県)
 ■小豆島の農村歌舞伎舞台(香川県)
 ■河内布施の長屋門(大阪府) ■堂島の米蔵(大阪府)
 ■堺の風車(大阪府) ■北河内の茶室(大阪府)
この他に、木製の刳り舟の展示や、民具の展示館もあります。



 さてその後は大阪駅に戻り、日本海側まで出る電車に乗りました。




 敦賀と福井で乗り換えて、金沢に着きました。今日はここで泊まります。明日は金沢で過ごした後、いよいよ長岡に帰ります。


 旅の最後の夜ということで、あまりお金のことを考えずに飲み食いしようと思いました。金沢の居酒屋で、豪儀に食事しました。一番おいしかったのが、金時草(きんじそう)のおひたし。
 居酒屋のご主人に「北陸新幹線の開通を楽しみにされているんじゃないですか」と聞いたら、「それは逆。首都圏から日帰り圏内になるので、ビジネス客もみな日帰りする。そうするとウチのような飲食業は、あがったりですよ。」と言われたことを、よく覚えています。




(旅に関する記事は、ラベル「2010年の夏旅」をご覧ください。)