別ブログもやっております! 50年間の役目を終えた「長岡市厚生会館」! その静かなる有終の日々…
「MOANIN' 長岡市厚生会館」

Sunday, October 29, 2006

some aspects of beauty in Echigo-Tsumari


 私は、『越後妻有アートトリエンナーレ2006』 になんだかんだで結局行きそびれてしまっていたが、会期終了後の今でも見学できる作品があると聞いたので、きのうの土曜日に行ってきた。
 自転車を分解して輪行袋に入れた。JR、ほくほく線を乗り継いで、まつだい駅に着いた。自転車を組み立てて、まずMVRDVの 『農舞台』 に行った。


 行きの電車の中では、事務所から借りた本・『MVRDV式』 を読んだ。設計のプロセスで特に興味を引かれたのは、敷地は何本かの通行動線や既存アート作品への視線の結節点であり、それら動線や視線の分割によるゾーニングがそのまま建物の平面プランに反映され、要求された各部門の床面積を満たしているという点だ。
 建物が地上からリフトアップされているのは積雪対策と眺望の確保のためであり、屋上の鉄骨架構がぽこぽこトゲトゲしているのは応力の分布に対応しており、全体の鉄骨量を減らすのが目的である。形やプランニングはなんとも奇妙だが、実はそれらは設計コンセプトをシンプルに形態として満たしている。3年前に初めて来たときよりもそれがよくわかった。スケールもよく理解できた。建物の中からの眺望は素晴らしかった。(コンセプトに納得。) レストランのカレーはおいしかった。


 芸術祭の作品のうち、『脱皮する家』 をどうしても見たいと思った。農舞台を後にして自転車に乗り、登り道を漕ぎ出した。真夏の会期中と違い、町も道もそんなに混んでないし、何組かは作品の見学が目的らしい人たちもいたけど、まあのんびりしたものである。何よりも気候がいい。真夏に自転車を漕ぐのはちょっと考えてしまう。
 越後妻有は、本当に美しい。大地の芸術祭が始まる前は、同じ新潟県内に住んでいても、まったくなじみが無かった地域だ。何と言うか、北川フラムさんの彗眼にお礼を言いたい気分だ。さわやかな秋の空気のもと、里山の自然と人々の暮らしは、どこにカメラを向けても絵にならない場所が無かった。谷をはさんで、自分の今いる所から向こうの山の斜面まで、びっしりとススキに覆われた場所があり、圧巻だった。


 道に迷いつつ1時間半ペダルを漕いで 『脱皮する家』 にたどり着いた。
 自転車を停めて中に入った。雑誌記事やテレビで紹介されていたのをたくさん見ていたせいなのか、最初はあまり何も感じなかったが、裸足になって歩き回り、床から天井まで隙間の無い彫り跡に目が慣れてくるうちに、だんだんどういうことなのか解ってきた。建物には次々と人が訪れていて、みな驚きの声をあげて、「住んでみたいね」 と言っている人もいた。
 2階に上がってみると、窓からは西に傾きかけた太陽の光が差し込み、びっしりとノミで彫り付けられた部屋をオレンジ色に照らしていて、言葉を失ってしまった。この家を彫りとげた瞬間の、日大学生チームの人たちの気持ちは、どのようなものだったんだろうか。せがい造りで持ち出された2階の掃き出し窓には手すりも無く外気と直結していて、篠原一男の初期の住宅を思い出したりして印象に残った。
 『脱皮する家』 が閉館する時間まで過ごしたあと、自転車に乗り、まつだい駅まで引きかえした。帰りは下り道だったから、1時間半かかったところを20分で駅までたどり着いた。


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I went to Matsudai yesterday with my bike. I enjoyed some art works of "Echigo-Tsumari Art Triennial 2006"and the rich beauty of the nature in Echigo-Tsumari.
I understood that some actions like art could realize the worth that had been already there and had never been seen before.


...Modinha...

Monday, October 16, 2006

comfortable houses

 さきの週末は小旅行に出た。

 土曜日 午前11時 さいたま市浦和区
 以前からウェブを通して興味を持っていた、『i+i 設計事務所』 さんの 『浦和S邸』 のオープンハウス見学をさせていただく。画面で見ていただけなのと、実際に空間を体験するのとは、やはり格段の開きがある。スキップフロアが巧みに構成されていて、とても良い住空間の体験だった。

 近くには 『別所沼公園』 があった。大きな沼を、ジョギングコースがぐるっと取り囲んでいて、たくさんのウィークエンド・ジョガーが汗を流していた。沼でヘラブナを釣っている人たちもいた。別所沼←→ウッドデッキ←→樹木←→ジョギングコースのレイヤーのからまりが、様々な活動を誘発していた。
 公園は思い思いに楽しむ家族連れでにぎわっていた。都市環境の真ん中に、これだけの素晴らしい公園があることを、すごくうらやましく思った。


 公園の一角には、『ヒアシンスハウス』 があった。詩人・立原道造(1914-1939)が、別所沼のほとりに建てようと計画していたものを、さいたま市民の手により再現建設されたものである。
 道造は詩人としての顔の他に、将来を嘱望された建築家という一面も持っていた。東京帝大建築学科では丹下健三の1年先輩にあたるそうだ。しかし24歳というおそろしい若さで夭折してしまった。
 現在 『ヒアシンスハウス』 は市民有志により管理され、週末に公開されている。家の中に入ると、ボランティアの女性が暖かくもてなしてくれた。ここに来るお客はだいたい2種類に別れ、道造の詩のファンの人か、建築がらみの人だそうだ。私のような男性はたいてい建築かぶれのクチらしい。
 建物は、柱1本だけ残して戸袋に引き込まれる隅の開口部や、横長のピクチャーウインドウが印象的だった。窓台にもたれかかったり椅子に座ったり、ベッドに腰を下ろしたりしながら、他のお客さんを交えていろいろ話をして過ごした。図面やスケッチで見る限りは何てことはない最小限住居なんだが、実際に中に入ってみると、ものすごく気持のいい空間だった。これが道造の建築家としての才能というものなのかな、と思った。
 開け放された窓から入ってくる風を感じ、秋の日の陽光をいっぱいに浴びながら、そなえつけてあった道造の詩集を手に取って詩に目を通してみると、まことに格別の趣きが感じられた。私はふだん道造なんて全然読まない人間なんだけど…。ものすごく満ち足りた気分になった。


 午後4時 南青山 プリズミック・ギャラリー
 『河内一泰展』 を見る。河内さんは若手の建築家。住宅を街に開くことを意識されているようで、その志向はおおいに共感できた。(私の解決は、河内さんとはまた違う方法を志向しているようだが。)
 難波和彦さんの事務所のOBという経歴から私が勝手に持っていたイメージと違い、河内さんはかなりとんがった造形の作風だった。ギャラリーの展示は、模型・パネルのディスプレイと、あとプロジェクターで壁一面にスライドを流していて、建築展の展示としてはごく一般的な方法で、正直なところあまり心はずむものではなかった。

 午後6時30分 東京オペラシティアートギャラリー
 『伊東豊雄 建築 新しいリアル』 展
 近作のプロジェクトの数々が紹介されていた。「エマージング・グリッド」 というコンセプトを説明するためにアニメーションが作られていた。グリッドそのものが変容していく様子や建物の形態が生成されていく様子が、黒い地に白い線だけのアニメーションで表現され、たいへんクールだった。
 『各務原市営斎場』 の屋根のRC打設現場が一部再現展示されていて、観覧者は型枠がうねって組まれて配筋されたところに登って観察できるようになっている。こんなすごい勾配でコンクリートペーストは定着するのかな、と思ってキャプションを読んでみると、土木用のコンクリートを打ったと書いてある。なるほど。体験型でよく伝わる展示だった。
 私がもっとも現在の伊東さんらしさを感じたのは、くつを脱いで上がりこむ大きな展示室があり、その部屋のBGMとして、底ぬけに能天気な女声の日本語シャンソン (?) が流されていたことだ。( 「地球は丸いよー りんごは赤いよー」 みたいな歌詞。) 展示室の白い床はうねうねとうねり、そこに1/30の模型たちやプロジェクターが 「ポンポーン」 と置かれている。床はところどころで小さく掘り込まれ、くぼみに座れるようになっている。歩き回ったり座ったり、自由に見てまわれる。そこに流れているのが建築展らしからぬ脱力系の歌で、これはもう心はずまずにはおれなかった。演歌がお好きだという伊東さんのひょうひょうとした人柄と、彼の建築が目指すところがわかった気がした。
 現在でこそ伊東さんのイメージはそんなものだが、実は彼は若いときに菊竹事務所で鍛え上げられた経歴を持ち、建築に対しては非常に厳しい態度で臨む人であり、また彼が私くらいの年齢の頃には極度に自閉的な空間ばかり作っていた。ひょうひょうとした明るさは、実のところ人間のどろっとした情念のようなものに支えられている一面もあるようで、私は建築家を長く続ける 「継続の力」 に思いを馳せたりもした。


 日曜日 午前10時 東京国立博物館
 上野公園は晴れわたっていた。私の目当ては 『特別展 仏像』 だった。
 特に見たかったのが 『宝誌和尚立像』 だ。博物館に入るとそれを目指して人混みのなか歩みを早めた。ナタ彫の像を集めたコーナーにそれはあった。
 宝誌和尚は中国に実在したお坊さんで、強い神通力のあまり自分の顔を裂いて観音に化身したという人物で、像はその逸話にもとづいて彫られている。
 初めて見る像は思っていたよりずっと大きいものだった。たぶん1800mm以上はある。それが高い展示台に据えられ、照明を浴びて、観覧者を見下ろすでもなく伏し目がちの表情をしている。そしてその顔の中央はふたつに割れ、中から観音様の顔が今まさに覗き始めている。
 きわめて異形の像だ。私は長い時間をかけて見ていた。「覚醒の瞬間」 というモチーフや、人々に囲まれ視線を浴びながらも超然とありつづけているところなど、私の状況とぼんやりと重ね合わせて考えたりした。しかし、あと数十年したら私は寿命を使いきってこの世からいなくなるだろうが、その先もずっとこの像は超然と在り続けるんだな、と思ったりもしていた。キャプションを読んだら、宝誌和尚が化身したのは実は十一面観音で、中の顔は本当はもっとたくさん出てくるらしい。それを考えると少し笑ってしまった。カタログを買って後からよく見てみたら、ちゃんと上のほうに十一面らしい顔が少しだけ彫ってあった。
(パンフ、絵はがきより)


 某時刻 某所
 以前に訪ねた、とある住宅にまた行ってみたところ、オーナーさんのご厚意で思いかけず内部にまで招き入れてもらった。
 家の中は大開口で青空が切り取られ、さわやかに抜ける風とともに、気持が良いことこの上なかった。奇異な外観をしていて、センセーショナルに建築メディアに取り上げられる前衛住宅も、中に入ってみると、この気持ちよさのためにすべてがあったんだな、と理解することができた。その気持ちよさは 『ヒアシンスハウス』 で感じたのとまったく同じ質のもので、すぐれた住宅の魅力のひとつの形というのは、いかなる場合でも案外共通しているものなんだな、と思った。

 午後6時 新潟市
 東京から新潟に直行して 『チャットモンチー』 のライブに行った。まるで10代のような行動力だ。
 ライブはすごく楽しく、いい曲ばっかりで少し嫉妬した。わしゃもう、何かにつけ単なる観察者で終わるのは嫌やで。

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I went on a short trip last weekend. I went to "haus-hyazinth", desinged by Michizo TACHIHARA in good old days. It was very comfortable.
And I also went to an avantgarde house. It was designed in very recent days and it had a very strange outward appearance. But when I was in it, it was very comfortable just like "haus-hyazinth". I've found that every good houses has similar disposition of comforts whichever they look like modest or like strange.


...Modinha...

Thursday, October 05, 2006

How do I imagine the real spaces from the drawings?

 建築家の難波和彦さんのHPを見ていて、ブログのアーカイブスに面白い記事を見つけた。引用してみます。

「花巻が描いた 『85三原邸』 の図面をチェックする。経験がないのだから無理もないが、彼女が描いた図面にはまだリアリティがない。多分、図面が具体的に現実とどう対応しているかが把握できていないのだと思う。自分の描いた図面と現実の建築とを、実際に対照してみないと分からないのかも知れないが、それ以前に、図面から空間が想像できているかどうかが問題である。これは僕の信念だが、ある縮尺の図面を描いている時、その図面を通して現実の空間を想像できることが、建築家の才能だと思う。イメージの中で自分の身体を縮め、図面の内部に身を置き、空間を仮想体験できる能力である。その能力は訓練を通じて伸ばすことはできるが、潜在的な能力が大きいような気がする。」
http://www.kai-workshop.com/index.html 内の、『青本往来記』、2002年11月11日分より)

 私は、先天的なスケール感には恵まれていない方で、いつもスケール感を鍛えようと意識して行動している。知覚はできるが把握ができない。実際の空間に身を置いたとき、高さ方向のスケール把握はわりと正確にできるが、平面スケールの把握がいまだに不得手である。
 だが難波さんの言われていることは、実物のスケールの把握とはまた違った種類のスキルであって、自分を仮想的に小さくして図面の中に入り込むことで、図面の状態から実際の空間スケールを把握するという、「図面と実空間を結びつけるスキル」 である。

 ちょっと挑戦して平面図に入ってみると、これは私にはまだまだ難しいことのようだ。
 これに関連して、以前に読んだある雑誌の対談記事を思い出した。お堅めの雑誌 『ユリイカ』 で、私の好きな漫画家・高野文子さんの特集が組まれていて、高野さんが魚喃キリコさんと対談をしていた。

魚 「私はコマの背景をどこまでも描き込んじゃうほうなんですよ。どこまでを活かしてどこから消去すればいいのかわからなくて。 (略) たぶん無意識で高野さんは描いているんでしょうけど、この選りすぐった末に残す線の選び方が私はまだわかってないんですね。」

高 「わかってるよ。いま言った幽体離脱して部屋を見るのでいいんだよ。小さくすれば小さくするほどうまくできるよ。」

魚 「小さくするんだ!なるほどー、いま私目覚めちゃった気がする!(笑) いままで、全部等身大でやってたから、いろんな物が見えちゃってしょうがなかったんですよ。ドールハウスを眺めるようにすればいいんだ。」

高 「あ、そうじゃないの。ドールハウスじゃなくて、自分が小さくなっちゃうのね。建物はそのままでいいの。動く自分は小さくて、机の上をとことこ歩いたりしているのね。」
 (中略)
高 「でも、私も最初はできなかった。『田辺のつる』 の時なんてヘンテコなパースを描いたりしてたからなあ (笑)。下に潜れるようになる瞬間ってのがあったのよ。(略) 小さくなっちゃえば楽だっていうのが、ふっとわかっちゃったのね。」  ( 『ユリイカ』 2002年7月号 P165-166 より )

 これを最初に読んだ当時は、「へー 高野文子くらいになるとすげーこと考えてるんだな…漫画家ってすげーなー、たいへんだなー」 などとポカーンと考えていたが、難波さんの言っていることと高野さんの言っていることには、通じているものがありそうだ。
 自分のプロジェクトのスタディを1/100で進めていて、いろんな建物の1/100の平面図を見たときに、「これは大きな部屋だな、これは小さいな、この部屋のプロポーションはいいな、気持よさそうだな」 という瞬時の判断ができるようになった。でもそれらの図面から空間そのものを想像できているかというと、あまりできていないことに気づいた。それには自分が小さくなってみればよかったんだね。
 同じ自分を小さくするにしても、建築家は漫画家ほど色んな場所に入っていかなくてもすみそうだ。矩計図や展開図にも入ってみたけど、まずは平面図に入って空間の想像をふくらませてみるのが面白く感じた。脳みその今まで使われていなかった場所が動いているのがわかる。やっている人はやっていたことなんだろうな。しばらく意識して練習してみよう。そしたらそのうち、 「私目覚めちゃった!」 となるんじゃないかな。


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How do I imagine the real spaces from the drawings?

Maybe I've got what to do. I'm going to make my body small in my imagination and get myself into the drawing, and going to watch inside from the room on the drawing.


...Modinha...

Monday, October 02, 2006

"Kote-E", the traditional and advanced art work on architecture

 
 昨日の日曜は色々な体験をした。午前は電車で堀之内・皇大市に行きハマモトさんのジャムを買い、その後ハマモトさんの車に乗せてもらって長岡にもどり、摂田屋のお祭りに行って 『サフラン酒造』 の鏝絵を見学。
 午後は買い物がてら自転車で古正寺に行き、川口とし子先生が設計したオープンしたての雑貨屋 『ハチテン』 に行ってみる。日没後、今井さんのオープンハウス見学をさせていただく。

 『ハチテン』 は店舗の空間が良かった。1階売り場とブリッジ状の2階売り場が立体的に構成され、2層分の商品ディスプレイの眺めがわくわくした。2階ブリッジに面白そうな本が並んでいるのを見つけたりすると思わず先を急いでしまう。ブリッジを移動していくと小さな光庭を貫通していて、いったん外部グレーチングに出たりする仕掛けも楽しかった。白い鉄骨丸柱がすごくスレンダーなのと、プロフィリットガラスがすごく端正なのが印象的だった。ショップカードや包装のCI展開も意識的になされているようで、「HACHITEN」 のロゴが入った紙袋を下げているひとを堀之内でも見かけた。
 今井さんのオープンハウスは夜8時まで行われていて、私がおじゃましたのは7時過ぎ、とっぷり暮れた後で、明りが入った親密な雰囲気のなか見学をさせていただくことができた。住宅はコートハウスで、ヒューマンなスケールがとても良かった。中庭のデッキと植樹を介して住宅の内外で視線が行き交う様子や、なによりも中庭を中心に回遊して歩くことがすごく楽しかった。
 今井さんご夫妻に住宅の説明を受けたり図面を見せてもらったり、また色々勉強になるお話を聞かせていただいた。まことにお世話さまでした。

 さて、摂田屋です。
 味噌や日本酒の醸造元がある摂田屋は、それらを観光資源として活用しようとしている。昨日訪れたお祭りでは、吉乃川酒造の敷地を開放し、そこにたくさんのテントをたてて地元の名産品やふるまい酒、陶芸作品などの出店がでていた。その祭りの一環として、鏝絵がほどこされた 『サフラン酒造』 の蔵が公開されていた。

 「鏝絵」 とは左官職人が漆喰を盛り上げてレリーフをつくる技術である。『サフラン酒造』 の蔵は、一面にほどこされた色彩豊かな鏝絵により、知る人ぞ知る存在である。薬草酒のサフラン酒で財をなした当主が大正時代に建てさせたものだそうだ。
 普段は外観しか見れないが、昨日はまのあたりにすることができた。

 こちらは通常は見れない側面からの眺め。ナマコ壁をバックにして、まるで画廊のように鏝絵が並ぶ。
 壁のところどころに、先の地震で剥落した跡が見られる。

 側面の鏝絵は様々な動物がモチーフだった。鏝絵・ナマコ壁・窓の召し合わせの線・鉄格子によるコンポジションとリズムがすごく絵画的、音楽的だった。私は山羊座だから、このヤギの写真をPCの壁紙にしようと思った。

 普段は見れない内扉の鏝絵も目と鼻の先に見ることができた。目に鮮やかな色漆喰。
 人や鯛の肌、木の表面のテクスチュア、釣り糸までが漆喰で表現されていて驚いた。この蔵を作った左官屋さんは、河村伊吉という地元の職人さんだそうだ。蔵の妻面ケラバの鏝絵をよく見ると、漆喰で 『左伊』 とサインが残されていた。

 実は私は昨日の摂田屋祭りのことを知らなくて、誘われて行ってみたら 『サフラン酒造』 が公開されているのに出くわした、というわけなのです。だから完全な不意打ちで、見るのに興奮してあまり写真もろくに撮らなかったというのが本当のところだ。実物の蔵は大迫力ですよ。
 『サフラン酒造』 の鏝絵については、藤森照信さんが書かれた 『建築探偵 奇想天外』 (朝日文庫) に、美しい写真入りで詳しく紹介されている。藤森さんによるとここは 「日本一ケバい蔵」 だそうだ。さもありなん。外観はいつでも見れますので、お近くの際はぜひ一見を!

※お知らせ
 荒俣宏さんによる 『サフラン酒造』 の鏝絵についての講演会が長岡であるそうです。
 博覧強記で知られる荒俣さんは、実は自著でサフラン酒造をとりあげたこともある 「鏝絵マニア」 でもあるそうです。どんな話をしていただけるのか楽しみです。
 2006年11月11日(金) 17:30開演
 会場 ホテルニューオータニ長岡 NCホール
 入場無料ですが、事前の申し込みが必要です。
 ハガキ、ファックスまたはメールにて、「荒俣宏講演会希望」 と明記して、郵便番号・住所・氏名・年齢を書いて申し込んでください。
 宛先 郵便番号 940-1105 新潟県長岡市摂田屋 4-8-12
     「醸造の町摂田屋町おこしの会」
     電話 0258-35-3000 fax 0258-36-1107
     メールアドレス settaya@yosinogawa.co.jp

※ 『サフラン酒造』 の蔵は、先ほど国の登録有形文化財に指定されたそうで、これから今まで以上に本格的な修復・保存に向けた運動が動き出すようです。
 それにはやはり多額の資金が必要だと思われます。以下の口座で、保存運動資金の寄付を受け付けているそうです。篤志家の方もそうでない方も、一肌脱がれてみてはいかがでしょうか。
  口座名 醸造の町摂田屋町おこしの会
  北越銀行 宮内支店 普通口座
  口座番号 543070

『サフラン酒造』 母屋はこのような様子です。

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"Kote-E" is a kind of relief on archtecture made from embossed stucco. It's a very japanese art.
I watched the "Kote-E" at Settaya, Nagaoka last Sunday. The architecture was decorated luxuriously and the "Kote-E" was colorful and strong.
Japanese sense of beauty is famous for its simplicity, "Wabi-Sabi" for example, but the "Kote-E" in Settaya is an another aspect of Japanese beauty that is seen especially in the snowy cold place like Nagaoka.


...Modinha...