別ブログもやっております! 50年間の役目を終えた「長岡市厚生会館」! その静かなる有終の日々…
「MOANIN' 長岡市厚生会館」

Thursday, December 14, 2006

The warehouse strikes again

 よく自転車で前を通る お気に入りの倉庫 に、先日から改装の手が入っていた。「取り壊されるのかな。取り壊すにしては、のんびりやってるな。」 と思っていたら、どうやら配管の設備業者さんが 「入居」 したようだ。


 H鋼の柱と柱の間には当然シャッターがあるもんだと思っていたら、どうやら無いみたいだ。「そのうちこの空間はふさがれちゃうのかな」 と思っていたが、設備業者さんは2階に入り、1階には配管を必要な分だけ取り付かせて、建物をそのまま使うらしい。

 大改造じゃなくて配管だけが加わった様子は 「メタボリズミック」 で、これはある意味非常に設備屋さんらしい、なかなかするどい解答だと思った。1階では自分たちの仕事の痕跡をそのまま露出させて、ショールームとしても機能していて、2階に棲み付いて仕事をする。すごく面白いと思う。

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The warehouse that I have often seen has been repaired by a company. The company deals the pipes. They attached pipes of some equipment to the ground floor of the warehouse, and they got into the upper floor. The ground floor has been kept open as it used to be. When you watch this ground floor, you can see the merchandise of the company, and also can see the open air as like before. I think it's a pretty sharp and interesting architectural idea.


...Modinha...

Sunday, October 29, 2006

some aspects of beauty in Echigo-Tsumari


 私は、『越後妻有アートトリエンナーレ2006』 になんだかんだで結局行きそびれてしまっていたが、会期終了後の今でも見学できる作品があると聞いたので、きのうの土曜日に行ってきた。
 自転車を分解して輪行袋に入れた。JR、ほくほく線を乗り継いで、まつだい駅に着いた。自転車を組み立てて、まずMVRDVの 『農舞台』 に行った。


 行きの電車の中では、事務所から借りた本・『MVRDV式』 を読んだ。設計のプロセスで特に興味を引かれたのは、敷地は何本かの通行動線や既存アート作品への視線の結節点であり、それら動線や視線の分割によるゾーニングがそのまま建物の平面プランに反映され、要求された各部門の床面積を満たしているという点だ。
 建物が地上からリフトアップされているのは積雪対策と眺望の確保のためであり、屋上の鉄骨架構がぽこぽこトゲトゲしているのは応力の分布に対応しており、全体の鉄骨量を減らすのが目的である。形やプランニングはなんとも奇妙だが、実はそれらは設計コンセプトをシンプルに形態として満たしている。3年前に初めて来たときよりもそれがよくわかった。スケールもよく理解できた。建物の中からの眺望は素晴らしかった。(コンセプトに納得。) レストランのカレーはおいしかった。


 芸術祭の作品のうち、『脱皮する家』 をどうしても見たいと思った。農舞台を後にして自転車に乗り、登り道を漕ぎ出した。真夏の会期中と違い、町も道もそんなに混んでないし、何組かは作品の見学が目的らしい人たちもいたけど、まあのんびりしたものである。何よりも気候がいい。真夏に自転車を漕ぐのはちょっと考えてしまう。
 越後妻有は、本当に美しい。大地の芸術祭が始まる前は、同じ新潟県内に住んでいても、まったくなじみが無かった地域だ。何と言うか、北川フラムさんの彗眼にお礼を言いたい気分だ。さわやかな秋の空気のもと、里山の自然と人々の暮らしは、どこにカメラを向けても絵にならない場所が無かった。谷をはさんで、自分の今いる所から向こうの山の斜面まで、びっしりとススキに覆われた場所があり、圧巻だった。


 道に迷いつつ1時間半ペダルを漕いで 『脱皮する家』 にたどり着いた。
 自転車を停めて中に入った。雑誌記事やテレビで紹介されていたのをたくさん見ていたせいなのか、最初はあまり何も感じなかったが、裸足になって歩き回り、床から天井まで隙間の無い彫り跡に目が慣れてくるうちに、だんだんどういうことなのか解ってきた。建物には次々と人が訪れていて、みな驚きの声をあげて、「住んでみたいね」 と言っている人もいた。
 2階に上がってみると、窓からは西に傾きかけた太陽の光が差し込み、びっしりとノミで彫り付けられた部屋をオレンジ色に照らしていて、言葉を失ってしまった。この家を彫りとげた瞬間の、日大学生チームの人たちの気持ちは、どのようなものだったんだろうか。せがい造りで持ち出された2階の掃き出し窓には手すりも無く外気と直結していて、篠原一男の初期の住宅を思い出したりして印象に残った。
 『脱皮する家』 が閉館する時間まで過ごしたあと、自転車に乗り、まつだい駅まで引きかえした。帰りは下り道だったから、1時間半かかったところを20分で駅までたどり着いた。


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I went to Matsudai yesterday with my bike. I enjoyed some art works of "Echigo-Tsumari Art Triennial 2006"and the rich beauty of the nature in Echigo-Tsumari.
I understood that some actions like art could realize the worth that had been already there and had never been seen before.


...Modinha...

Monday, October 16, 2006

comfortable houses

 さきの週末は小旅行に出た。

 土曜日 午前11時 さいたま市浦和区
 以前からウェブを通して興味を持っていた、『i+i 設計事務所』 さんの 『浦和S邸』 のオープンハウス見学をさせていただく。画面で見ていただけなのと、実際に空間を体験するのとは、やはり格段の開きがある。スキップフロアが巧みに構成されていて、とても良い住空間の体験だった。

 近くには 『別所沼公園』 があった。大きな沼を、ジョギングコースがぐるっと取り囲んでいて、たくさんのウィークエンド・ジョガーが汗を流していた。沼でヘラブナを釣っている人たちもいた。別所沼←→ウッドデッキ←→樹木←→ジョギングコースのレイヤーのからまりが、様々な活動を誘発していた。
 公園は思い思いに楽しむ家族連れでにぎわっていた。都市環境の真ん中に、これだけの素晴らしい公園があることを、すごくうらやましく思った。


 公園の一角には、『ヒアシンスハウス』 があった。詩人・立原道造(1914-1939)が、別所沼のほとりに建てようと計画していたものを、さいたま市民の手により再現建設されたものである。
 道造は詩人としての顔の他に、将来を嘱望された建築家という一面も持っていた。東京帝大建築学科では丹下健三の1年先輩にあたるそうだ。しかし24歳というおそろしい若さで夭折してしまった。
 現在 『ヒアシンスハウス』 は市民有志により管理され、週末に公開されている。家の中に入ると、ボランティアの女性が暖かくもてなしてくれた。ここに来るお客はだいたい2種類に別れ、道造の詩のファンの人か、建築がらみの人だそうだ。私のような男性はたいてい建築かぶれのクチらしい。
 建物は、柱1本だけ残して戸袋に引き込まれる隅の開口部や、横長のピクチャーウインドウが印象的だった。窓台にもたれかかったり椅子に座ったり、ベッドに腰を下ろしたりしながら、他のお客さんを交えていろいろ話をして過ごした。図面やスケッチで見る限りは何てことはない最小限住居なんだが、実際に中に入ってみると、ものすごく気持のいい空間だった。これが道造の建築家としての才能というものなのかな、と思った。
 開け放された窓から入ってくる風を感じ、秋の日の陽光をいっぱいに浴びながら、そなえつけてあった道造の詩集を手に取って詩に目を通してみると、まことに格別の趣きが感じられた。私はふだん道造なんて全然読まない人間なんだけど…。ものすごく満ち足りた気分になった。


 午後4時 南青山 プリズミック・ギャラリー
 『河内一泰展』 を見る。河内さんは若手の建築家。住宅を街に開くことを意識されているようで、その志向はおおいに共感できた。(私の解決は、河内さんとはまた違う方法を志向しているようだが。)
 難波和彦さんの事務所のOBという経歴から私が勝手に持っていたイメージと違い、河内さんはかなりとんがった造形の作風だった。ギャラリーの展示は、模型・パネルのディスプレイと、あとプロジェクターで壁一面にスライドを流していて、建築展の展示としてはごく一般的な方法で、正直なところあまり心はずむものではなかった。

 午後6時30分 東京オペラシティアートギャラリー
 『伊東豊雄 建築 新しいリアル』 展
 近作のプロジェクトの数々が紹介されていた。「エマージング・グリッド」 というコンセプトを説明するためにアニメーションが作られていた。グリッドそのものが変容していく様子や建物の形態が生成されていく様子が、黒い地に白い線だけのアニメーションで表現され、たいへんクールだった。
 『各務原市営斎場』 の屋根のRC打設現場が一部再現展示されていて、観覧者は型枠がうねって組まれて配筋されたところに登って観察できるようになっている。こんなすごい勾配でコンクリートペーストは定着するのかな、と思ってキャプションを読んでみると、土木用のコンクリートを打ったと書いてある。なるほど。体験型でよく伝わる展示だった。
 私がもっとも現在の伊東さんらしさを感じたのは、くつを脱いで上がりこむ大きな展示室があり、その部屋のBGMとして、底ぬけに能天気な女声の日本語シャンソン (?) が流されていたことだ。( 「地球は丸いよー りんごは赤いよー」 みたいな歌詞。) 展示室の白い床はうねうねとうねり、そこに1/30の模型たちやプロジェクターが 「ポンポーン」 と置かれている。床はところどころで小さく掘り込まれ、くぼみに座れるようになっている。歩き回ったり座ったり、自由に見てまわれる。そこに流れているのが建築展らしからぬ脱力系の歌で、これはもう心はずまずにはおれなかった。演歌がお好きだという伊東さんのひょうひょうとした人柄と、彼の建築が目指すところがわかった気がした。
 現在でこそ伊東さんのイメージはそんなものだが、実は彼は若いときに菊竹事務所で鍛え上げられた経歴を持ち、建築に対しては非常に厳しい態度で臨む人であり、また彼が私くらいの年齢の頃には極度に自閉的な空間ばかり作っていた。ひょうひょうとした明るさは、実のところ人間のどろっとした情念のようなものに支えられている一面もあるようで、私は建築家を長く続ける 「継続の力」 に思いを馳せたりもした。


 日曜日 午前10時 東京国立博物館
 上野公園は晴れわたっていた。私の目当ては 『特別展 仏像』 だった。
 特に見たかったのが 『宝誌和尚立像』 だ。博物館に入るとそれを目指して人混みのなか歩みを早めた。ナタ彫の像を集めたコーナーにそれはあった。
 宝誌和尚は中国に実在したお坊さんで、強い神通力のあまり自分の顔を裂いて観音に化身したという人物で、像はその逸話にもとづいて彫られている。
 初めて見る像は思っていたよりずっと大きいものだった。たぶん1800mm以上はある。それが高い展示台に据えられ、照明を浴びて、観覧者を見下ろすでもなく伏し目がちの表情をしている。そしてその顔の中央はふたつに割れ、中から観音様の顔が今まさに覗き始めている。
 きわめて異形の像だ。私は長い時間をかけて見ていた。「覚醒の瞬間」 というモチーフや、人々に囲まれ視線を浴びながらも超然とありつづけているところなど、私の状況とぼんやりと重ね合わせて考えたりした。しかし、あと数十年したら私は寿命を使いきってこの世からいなくなるだろうが、その先もずっとこの像は超然と在り続けるんだな、と思ったりもしていた。キャプションを読んだら、宝誌和尚が化身したのは実は十一面観音で、中の顔は本当はもっとたくさん出てくるらしい。それを考えると少し笑ってしまった。カタログを買って後からよく見てみたら、ちゃんと上のほうに十一面らしい顔が少しだけ彫ってあった。
(パンフ、絵はがきより)


 某時刻 某所
 以前に訪ねた、とある住宅にまた行ってみたところ、オーナーさんのご厚意で思いかけず内部にまで招き入れてもらった。
 家の中は大開口で青空が切り取られ、さわやかに抜ける風とともに、気持が良いことこの上なかった。奇異な外観をしていて、センセーショナルに建築メディアに取り上げられる前衛住宅も、中に入ってみると、この気持ちよさのためにすべてがあったんだな、と理解することができた。その気持ちよさは 『ヒアシンスハウス』 で感じたのとまったく同じ質のもので、すぐれた住宅の魅力のひとつの形というのは、いかなる場合でも案外共通しているものなんだな、と思った。

 午後6時 新潟市
 東京から新潟に直行して 『チャットモンチー』 のライブに行った。まるで10代のような行動力だ。
 ライブはすごく楽しく、いい曲ばっかりで少し嫉妬した。わしゃもう、何かにつけ単なる観察者で終わるのは嫌やで。

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I went on a short trip last weekend. I went to "haus-hyazinth", desinged by Michizo TACHIHARA in good old days. It was very comfortable.
And I also went to an avantgarde house. It was designed in very recent days and it had a very strange outward appearance. But when I was in it, it was very comfortable just like "haus-hyazinth". I've found that every good houses has similar disposition of comforts whichever they look like modest or like strange.


...Modinha...

Thursday, October 05, 2006

How do I imagine the real spaces from the drawings?

 建築家の難波和彦さんのHPを見ていて、ブログのアーカイブスに面白い記事を見つけた。引用してみます。

「花巻が描いた 『85三原邸』 の図面をチェックする。経験がないのだから無理もないが、彼女が描いた図面にはまだリアリティがない。多分、図面が具体的に現実とどう対応しているかが把握できていないのだと思う。自分の描いた図面と現実の建築とを、実際に対照してみないと分からないのかも知れないが、それ以前に、図面から空間が想像できているかどうかが問題である。これは僕の信念だが、ある縮尺の図面を描いている時、その図面を通して現実の空間を想像できることが、建築家の才能だと思う。イメージの中で自分の身体を縮め、図面の内部に身を置き、空間を仮想体験できる能力である。その能力は訓練を通じて伸ばすことはできるが、潜在的な能力が大きいような気がする。」
http://www.kai-workshop.com/index.html 内の、『青本往来記』、2002年11月11日分より)

 私は、先天的なスケール感には恵まれていない方で、いつもスケール感を鍛えようと意識して行動している。知覚はできるが把握ができない。実際の空間に身を置いたとき、高さ方向のスケール把握はわりと正確にできるが、平面スケールの把握がいまだに不得手である。
 だが難波さんの言われていることは、実物のスケールの把握とはまた違った種類のスキルであって、自分を仮想的に小さくして図面の中に入り込むことで、図面の状態から実際の空間スケールを把握するという、「図面と実空間を結びつけるスキル」 である。

 ちょっと挑戦して平面図に入ってみると、これは私にはまだまだ難しいことのようだ。
 これに関連して、以前に読んだある雑誌の対談記事を思い出した。お堅めの雑誌 『ユリイカ』 で、私の好きな漫画家・高野文子さんの特集が組まれていて、高野さんが魚喃キリコさんと対談をしていた。

魚 「私はコマの背景をどこまでも描き込んじゃうほうなんですよ。どこまでを活かしてどこから消去すればいいのかわからなくて。 (略) たぶん無意識で高野さんは描いているんでしょうけど、この選りすぐった末に残す線の選び方が私はまだわかってないんですね。」

高 「わかってるよ。いま言った幽体離脱して部屋を見るのでいいんだよ。小さくすれば小さくするほどうまくできるよ。」

魚 「小さくするんだ!なるほどー、いま私目覚めちゃった気がする!(笑) いままで、全部等身大でやってたから、いろんな物が見えちゃってしょうがなかったんですよ。ドールハウスを眺めるようにすればいいんだ。」

高 「あ、そうじゃないの。ドールハウスじゃなくて、自分が小さくなっちゃうのね。建物はそのままでいいの。動く自分は小さくて、机の上をとことこ歩いたりしているのね。」
 (中略)
高 「でも、私も最初はできなかった。『田辺のつる』 の時なんてヘンテコなパースを描いたりしてたからなあ (笑)。下に潜れるようになる瞬間ってのがあったのよ。(略) 小さくなっちゃえば楽だっていうのが、ふっとわかっちゃったのね。」  ( 『ユリイカ』 2002年7月号 P165-166 より )

 これを最初に読んだ当時は、「へー 高野文子くらいになるとすげーこと考えてるんだな…漫画家ってすげーなー、たいへんだなー」 などとポカーンと考えていたが、難波さんの言っていることと高野さんの言っていることには、通じているものがありそうだ。
 自分のプロジェクトのスタディを1/100で進めていて、いろんな建物の1/100の平面図を見たときに、「これは大きな部屋だな、これは小さいな、この部屋のプロポーションはいいな、気持よさそうだな」 という瞬時の判断ができるようになった。でもそれらの図面から空間そのものを想像できているかというと、あまりできていないことに気づいた。それには自分が小さくなってみればよかったんだね。
 同じ自分を小さくするにしても、建築家は漫画家ほど色んな場所に入っていかなくてもすみそうだ。矩計図や展開図にも入ってみたけど、まずは平面図に入って空間の想像をふくらませてみるのが面白く感じた。脳みその今まで使われていなかった場所が動いているのがわかる。やっている人はやっていたことなんだろうな。しばらく意識して練習してみよう。そしたらそのうち、 「私目覚めちゃった!」 となるんじゃないかな。


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How do I imagine the real spaces from the drawings?

Maybe I've got what to do. I'm going to make my body small in my imagination and get myself into the drawing, and going to watch inside from the room on the drawing.


...Modinha...

Monday, October 02, 2006

"Kote-E", the traditional and advanced art work on architecture

 
 昨日の日曜は色々な体験をした。午前は電車で堀之内・皇大市に行きハマモトさんのジャムを買い、その後ハマモトさんの車に乗せてもらって長岡にもどり、摂田屋のお祭りに行って 『サフラン酒造』 の鏝絵を見学。
 午後は買い物がてら自転車で古正寺に行き、川口とし子先生が設計したオープンしたての雑貨屋 『ハチテン』 に行ってみる。日没後、今井さんのオープンハウス見学をさせていただく。

 『ハチテン』 は店舗の空間が良かった。1階売り場とブリッジ状の2階売り場が立体的に構成され、2層分の商品ディスプレイの眺めがわくわくした。2階ブリッジに面白そうな本が並んでいるのを見つけたりすると思わず先を急いでしまう。ブリッジを移動していくと小さな光庭を貫通していて、いったん外部グレーチングに出たりする仕掛けも楽しかった。白い鉄骨丸柱がすごくスレンダーなのと、プロフィリットガラスがすごく端正なのが印象的だった。ショップカードや包装のCI展開も意識的になされているようで、「HACHITEN」 のロゴが入った紙袋を下げているひとを堀之内でも見かけた。
 今井さんのオープンハウスは夜8時まで行われていて、私がおじゃましたのは7時過ぎ、とっぷり暮れた後で、明りが入った親密な雰囲気のなか見学をさせていただくことができた。住宅はコートハウスで、ヒューマンなスケールがとても良かった。中庭のデッキと植樹を介して住宅の内外で視線が行き交う様子や、なによりも中庭を中心に回遊して歩くことがすごく楽しかった。
 今井さんご夫妻に住宅の説明を受けたり図面を見せてもらったり、また色々勉強になるお話を聞かせていただいた。まことにお世話さまでした。

 さて、摂田屋です。
 味噌や日本酒の醸造元がある摂田屋は、それらを観光資源として活用しようとしている。昨日訪れたお祭りでは、吉乃川酒造の敷地を開放し、そこにたくさんのテントをたてて地元の名産品やふるまい酒、陶芸作品などの出店がでていた。その祭りの一環として、鏝絵がほどこされた 『サフラン酒造』 の蔵が公開されていた。

 「鏝絵」 とは左官職人が漆喰を盛り上げてレリーフをつくる技術である。『サフラン酒造』 の蔵は、一面にほどこされた色彩豊かな鏝絵により、知る人ぞ知る存在である。薬草酒のサフラン酒で財をなした当主が大正時代に建てさせたものだそうだ。
 普段は外観しか見れないが、昨日はまのあたりにすることができた。

 こちらは通常は見れない側面からの眺め。ナマコ壁をバックにして、まるで画廊のように鏝絵が並ぶ。
 壁のところどころに、先の地震で剥落した跡が見られる。

 側面の鏝絵は様々な動物がモチーフだった。鏝絵・ナマコ壁・窓の召し合わせの線・鉄格子によるコンポジションとリズムがすごく絵画的、音楽的だった。私は山羊座だから、このヤギの写真をPCの壁紙にしようと思った。

 普段は見れない内扉の鏝絵も目と鼻の先に見ることができた。目に鮮やかな色漆喰。
 人や鯛の肌、木の表面のテクスチュア、釣り糸までが漆喰で表現されていて驚いた。この蔵を作った左官屋さんは、河村伊吉という地元の職人さんだそうだ。蔵の妻面ケラバの鏝絵をよく見ると、漆喰で 『左伊』 とサインが残されていた。

 実は私は昨日の摂田屋祭りのことを知らなくて、誘われて行ってみたら 『サフラン酒造』 が公開されているのに出くわした、というわけなのです。だから完全な不意打ちで、見るのに興奮してあまり写真もろくに撮らなかったというのが本当のところだ。実物の蔵は大迫力ですよ。
 『サフラン酒造』 の鏝絵については、藤森照信さんが書かれた 『建築探偵 奇想天外』 (朝日文庫) に、美しい写真入りで詳しく紹介されている。藤森さんによるとここは 「日本一ケバい蔵」 だそうだ。さもありなん。外観はいつでも見れますので、お近くの際はぜひ一見を!

※お知らせ
 荒俣宏さんによる 『サフラン酒造』 の鏝絵についての講演会が長岡であるそうです。
 博覧強記で知られる荒俣さんは、実は自著でサフラン酒造をとりあげたこともある 「鏝絵マニア」 でもあるそうです。どんな話をしていただけるのか楽しみです。
 2006年11月11日(金) 17:30開演
 会場 ホテルニューオータニ長岡 NCホール
 入場無料ですが、事前の申し込みが必要です。
 ハガキ、ファックスまたはメールにて、「荒俣宏講演会希望」 と明記して、郵便番号・住所・氏名・年齢を書いて申し込んでください。
 宛先 郵便番号 940-1105 新潟県長岡市摂田屋 4-8-12
     「醸造の町摂田屋町おこしの会」
     電話 0258-35-3000 fax 0258-36-1107
     メールアドレス settaya@yosinogawa.co.jp

※ 『サフラン酒造』 の蔵は、先ほど国の登録有形文化財に指定されたそうで、これから今まで以上に本格的な修復・保存に向けた運動が動き出すようです。
 それにはやはり多額の資金が必要だと思われます。以下の口座で、保存運動資金の寄付を受け付けているそうです。篤志家の方もそうでない方も、一肌脱がれてみてはいかがでしょうか。
  口座名 醸造の町摂田屋町おこしの会
  北越銀行 宮内支店 普通口座
  口座番号 543070

『サフラン酒造』 母屋はこのような様子です。

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"Kote-E" is a kind of relief on archtecture made from embossed stucco. It's a very japanese art.
I watched the "Kote-E" at Settaya, Nagaoka last Sunday. The architecture was decorated luxuriously and the "Kote-E" was colorful and strong.
Japanese sense of beauty is famous for its simplicity, "Wabi-Sabi" for example, but the "Kote-E" in Settaya is an another aspect of Japanese beauty that is seen especially in the snowy cold place like Nagaoka.


...Modinha...

Friday, September 29, 2006

The high-minded philosophy of architecture in Nagaoka

(26日・火曜日の話)

 建物定期調査の記録係として、市内の料亭に行く。初めて中に入る。
 ここは長岡でも名の通った料亭で、おいそれと私が来れるような場所ではない。建物はうちの事務所が設計して30年ほど前に竣工した物件だ。私はずっと、この建物にいつか行ってみたいと思っていた。

 すこし長くなるけど、竣工当時に事務所の所長(当時。現在は相談役)が建築雑誌に書いた、建物の解説文の一部を引用したい。

「地方の時代における中核都市としての発展やニーズに対応しながら、雪国長岡の伝統的風土をいかに建物に取り入れ、今後の雪国建築のひとつのあり方を表現するかが、料亭 『いまつ』 の最大の設計課題であった。
 その中で、敷地の狭隘さと、料亭の敷地としては景観的に好ましくない周辺環境、過酷な雪の遮断という問題点の解決が必要であった。料亭というイメージからいえば純和風建築が望ましいが、ここではそのような理由から全体をRC造のボックスで覆い、その内部に数奇屋を取り込むこととした。また面積確保の点から建物を3層としたが、エレベーターの使用を避け、ボックス全体を地下1階へ落とすことにより、GLに中間階を取り上下1層を歩くという方法で処理した。
 地階において、敷地の境界いっぱいの擁壁をつくり、建物との間のドライエリアをサンクンガーデンとすることによって地階の閉塞性を解消すると共に、庭園を創出することを図った。このドライエリアは地階に並ぶ小間の両側にとり、廊下側のものは1階までの大きな吹抜けとした。
 このため自然光や外気を直接取り入れることができ、また建物周囲の景観にわずらわされることのない坪庭をつくることができた。」  (『新建築』 81年7月号より)

 「エレベーターの使用を避けるために建物を埋めた」 とも読めるが、そうではない。ポイントを独断的にまとめてみると、
1. 積雪と、よくない景観から守られた料亭を作りたい。
(1-2.要求される機能を敷地に入れると、必然的に建物は3層になってしまう。)
2-1.料亭の数奇屋建築を、コンクリート打放しの箱ですっぽり覆ってしまう。
2-2.それをまるごと1層ぶん地下に埋める。
2-3.コンクリートの箱の地下1階と地上1階をぶち抜いて、吹抜けにする。外気とつながった地下1階に日本庭園をつくり、数奇屋から眺められるようにする。

 1はいわゆるコンセプトで、2以降はそれを建築的にどう解決したかという話だが、以前から私が感心していたのは、まずこの建築的な解決方法がまことに独創的であるということ。地下に埋められたことにより周囲に影響をうけない環境が生まれる。つけ加えると、解決の手つきが非常にあざやかで力強くて、一種暴力的ですらある。というのは、この料亭を道路から見ると、和風の立派な門構えと植栽が茂ったアプローチの奥には、本当にそっけない四角のコンクリート打放しのボリュームが 「どっすん」 と見えるだけなのだ。でも実は、その地面の中には本格的な数奇屋と、滝や池までそなえた庭園がある。地下にメインの庭があるなんて、本当に独創的だ。
 そしてあざやかな建築的手法により、1のコンセプトがあたらめて浮かびあがってくる。建築がコンセプトを強化し、コンセプトが建築に背骨を与えている。こうなるとコンセプトというより 『理念』 と呼びたくなる。理念から建築までが一本のライン上にあり、ぶれがない。私もかくありたい、と強く思う。
 この当時のうちの事務所の作品には、こういった理念が感じられて、なおかつ建築の解決方法が非常にチャレンジングなものが数多くあり、私は本当にそれらを尊敬する。おぼろげながらそれを感じたから、私はこの事務所にアプローチしたのだ。

 さて、料亭の建物だが、実際行ってみると、数奇屋空間の質の高さに非常に驚かされた。あわただしい調査の合間にざっと眺めた程度だが、まったく本格的だった。無垢の材料を大きく面的に、かつ厚みを生かして使っていて、あまり余計な線がないモダンな数奇屋で、吉田五十八の空間に強く通じるものがあった。(お金もすごくかけられた仕事のようだ。)
 またおかみさんはじめ従業員の皆さんも格式が高く、プロフェッショナルだった。午前も早いというのに玄関は雑巾で拭き清められ、活け花など季節のしつらえも完璧、お香でも焚いているのか建物全体に香木のような上品な香りがただよっていた。
 長岡にもこれほどの空間があったのか、という驚きが一番の感想だ。私がお客として行ける日が来るのかどうかわからないが、今度は地下の障子を開け放って、地下に作られた雁木ごしに庭の滝を眺めながら、料理をいただいてみたい。

 調査の合間に1枚だけ撮った、自分のための写真。
 露出が飛んでわかりづらいが、数奇屋がコンクリートボックスに収められている。角度が振られた美しいアプローチも、こころにくい。


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I like architectures those are designed with high-minded philosophies like "Ryoutei-IMATSU" in Nagaoka and I want to design my architectures with storong philosophies, but maybe it's a hard way to go.


...Modinha...

Monday, July 24, 2006

Alberto

日曜日は住宅を見学するほかに、もう1ヶ所訪れた。神奈川県立近代美術館・葉山館で開かれている 『アルベルト・ジャコメッティ展』 である。


僕は葉山館に来るのは2回目。以前はアニメーション作家のヤン・シュバンクマイヤーの展覧会を見に来た。
そのとき美術館はかなり混んでいた。シュバンクマイヤーの展覧会はすごく面白かったんだけど、来ていたお客さんが全員シュバンクマイヤーのファンでパペット・アニメーションに詳しい人たちだとは、とうてい思えない感じだった。つまり葉山館はリゾート的な魅力がすごく高く、それで集客力があるんだな、とそのとき僕は理解した。(余談の自慢だが、僕はヤン・シュバンクマイヤー本人に仙台で会ったことがある。)

今回も美術館の人出が多いことが予想された。
僕はジャコメッティにはかなり親しんできた。彼の生い立ちや、シュルレアリスムを経た後に独自かつ唯一無二の存在感を持つ彫刻表現に至ったことや、哲学者・矢内原伊作との交流のエピソードなど、全部知っている。京都の大山崎山荘美術館や笠間日動美術館などで実物の作品も何度か見たことがあった。
僕は、自分がジャコメッティのどんなところに魅かれていて、どんな作品をこの目でじっくりと見てみたいか知っていた。今回はいままで僕が経験していない規模のジャコメッティの展示だけど、限られた時間と体力のなかで、人混みにあらがってすみからすみまで気を張って見る必要は無い。見たいものだけじっくり見ればいい。
(とは言え、もし僕が仮に4日間自由に使えたとしたら、4日ともジャコメッティを見に通っただろう。)

あんのじょう美術館は混んでいたが、マナーの悪い人はおらず、静かに落ち着いて見ることができた。
入場してすぐ、彼の初期の作品 『歩く女Ⅰ』 があり、的確な観察力と造形力の才能が良くわかった。
彼が描いた油彩の肖像画があった。額縁にガラスは嵌っておらず、生で見ることが出来た。彼が何日もかけて描いたであろう筆使いと、そしてそういった痕跡のすえに絵の中の人物が獲得した存在感が、まざまざと見てとれた。特に真正面から見たとき、しばらく釘付けになった。
ある展示室の中央に置かれた真っ白な台の上に、余白をたっぷり取って、針金のように小さな人物像が4つ置かれていた。その鋭い有様に戦慄が走るくらいだった。

窓から海が見える展示室に入ったとき、僕はわかった。僕は今回、これを見るんだ。

海を望む窓の前に、ジャコメッティの彫刻が置かれている。目線の高さの台座の上に小指ほどの大きさの女性像が並んでいる。その先には海と、曇った空が見える。
考えてみればベッタベタな展示だ。けれど葉山館の人は、よくぞこの展示をしてくれたものだ。

海と空を背景に、ジャコメッティの小さな小さな人物像を見る。これはまちがいなく、今ここでしかできない経験だ。僕はもう動く必要は無かった。

・・・あんまり見ていたから、僕の眼のなかで、後ろの曇り空と海が、ジャコメッティの像のまわりだけ白く光るようになった。

すべての展示を見終わり、余韻を抱えつつ部屋を出たとき、大げさに言えば生まれ変わったような気分になっていた。僕は今自分がいる世界とあらためてアダプトした感じだ。
美術館からバスに乗って駅に向かい、長岡に帰る電車に乗った。帰りの電車ではたいがい座れた。こっちは新潟より人が多いから、電車の席は全部うまっている。
きっちりうまった席のひとつに僕は座っていた。誰ひとり僕と親しい人がいるわけではなく、たくさんの知らない人に囲まれて僕は運ばれていった。
しかし普通は気に障るそんな状況も、なぜか今日はまったく気にならなかった。僕は確かに自分が生きているのがわかった。そんな今日の感覚を楽しみつつ、長岡までの長い家路についた。

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/
exhibitions/2006/giacometti060531/index.html


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I went to The Museum of Modern Art Hayama to watch Alberto GIACOMETTI.

I watched his sculptures, and felt like hearing Alberto's raw voices through his works.

And, I felt like that I had understood WHY I'M LIVING HERE NOW.


...Modinha...

visiting some houses


さきの土曜・日曜と、住宅を見学する旅に行ってきた。「青春18きっぷ」 を利用してのローコスト・トリップである。

雑誌などの情報から、「街に開かれている」 と思われる住宅を選んで訪ねた。訪れたのは次の4つの住宅。(訪れた順)
佐藤光彦:設計 『西所沢の住宅』
アトリエ・ワン:設計 『ミニ・ハウス』 (練馬)
手塚貴晴+手塚由比:設計 『屋根の家』 (秦野)
アトリエ・ワン:設計 『アニ・ハウス』 (茅ヶ崎)

個人住宅を見るわけだから、ふるまいは常識の範囲を守る。立ち止まってしげしげと観察したり大っぴらにスケッチしたりカメラを向けたりするのは控える。あくまで通行人として眺めるだけである。
しかし現地に足を運んでみて、初めて本当にわかったことがあり、大きな収穫だった。

それはどういうことかというと、雑誌で建築家が自作を解説している文章を読んだり、スタイリッシュにトリミングされた写真を見ていると、「家と街とがラディカルに結び付けられているのか」 とか、「周囲に自己主張しまくっている存在感なのか」 と思ってしまう。
ところが現地を歩き回ってみると、訪れた住宅はどれも、周辺のコンテクストをかなり色濃く反映していて、決してまったく異質な存在ではなかった。宇宙船のごとくに啓蒙的な住宅が突然降り立ったわけではなく、周囲によく根ざしていた。

『西所沢の住宅』 (http://www.japan-architect.co.jp/japanese/2maga/jt/jt2001/jt08/work/01/main.html) は、2003年度JIA新人賞を受賞していて、そのときの審査コメントを読むと、ものすごく過激な住宅のように思えた。(http://www.jia.or.jp/member/award/newface/2003/kouhyou.htm)
しかし、細い路地が入り組んだ密集住宅地である現地の家々はどれもみな、周囲との関係がすごく近くて、そこでは 『西所沢の住宅』 のファサードの空地の取り方と開口部がとりたてて異常なものに思えなかった。木造モルタル+リシン仕上の外壁も周囲によく見られるもので、これもコンテクストを反映したもののように感じた。

『ミニ・ハウス』 (http://www.bow-wow.jp/profile/works.html) は、塚本由晴さんの解説文を読んだり配置図を読み取ったりすると、建物を中央に配置することで、周囲との関係を風通し良いものにすることをねらっているのかな、と僕は理解していた。
実際に行くと、現地の住宅の敷地はどれも一様に狭く、『ミニ・ハウス』 に取られた空地も小さい面積のもので、植栽が大きく育っていることも加わって、周りの住宅との差異をそれほど感じない。前面道路に対しては、開口部が無くわりと防御的で、また2層目のボリューム (雑誌の写真でミニ・クーパーを停めている上部のところ) のレベルでは接道している印象で、周囲の住宅よりとびぬけた開放感があるわけでは無かった。

『屋根の家』 (http://www.tezuka-arch.com/japanese/works/roof/01.html) は、事前情報の段階から、僕にとってかなり好ましい住宅だった。屋根の使い方は文句無く発明的なアイディアだし、屋根の下の住居部分のプランニングも、各方向に視線を抜けさせる気持良さが巧みだと思う。
現地は斜面に造成された団地で、街の人達によって良い環境の住宅地が形成されていた。各戸の敷地は比較的広く、それぞれが眺望を何らかの形で意識して建てられている印象だった。実際に見た 『屋根の家』 は、周辺コンテクストが持っている建物のボリューム感・庭の取りかた・眺望に対する構えを素直に引き継いで、それらを健全に育てて突き抜けさせた住宅のように思えた。

『アニ・ハウス』 は 『ミニ・ハウス』 と同様の配置のされ方である。前面に大きな開口部があるので、周辺との親和性が 『ミニ・ハウス』 より高い。建物のボリュームはだいたい 『ミニ・ハウス』 と同じだが、敷地が広いので、取られた空地はより効果的に思えた。
だが周囲の住宅にも、『アニ・ハウス』 と同じくらいの庭を抱える余裕があり、『アニ・ハウス』 はその住宅地の良い性格を助長しているように思えた。周囲に異を唱えるのではなく積極的に評価して、それを意識して体現したようなすがすがしさがあった。その 「すがすがしさ」 の実現のために、外壁の素材としてガルバリウム鋼板スパンドレルが採用されたように見てとれた。

どの住宅も、建築家の頭の中だけで生み出されたわけではなく、例外なく周辺環境のコンテクストから出発して設計されたものだった。この本当にあたりまえのことが、実物ではなく建築メディアだけ見ていた僕にはわからなかった。僕の中でイメージが肥大しすぎていたことが良くわかった。
雑誌に載るようなすぐれた住宅も、実のところはすごく素直な存在だった。
つまり、もしプロジェクトに行き詰まったら、僕の敷地と、そこから僕が素直に感じる感覚にたち帰ること。それに従うのがよい。


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I went to watch my favorite houses last weekend.
Those real and actual houses taught me so many things never being understood within limited images on the architectural medias.


...Modinha...

Sunday, June 18, 2006

around Kanazawa in a day


もうそろそろ、すぐれた実物の建築が見たくなった。今週は1日しか休みが無いが、OLさんのように 「自分にご褒美」 みたいな感じで、少しムリして、日帰りで金沢に行くことにした。
兼六園の隣の 『成巽閣』 に、すごい空間があるらしい。

長岡から特急で3時間、金沢に着いた。
金沢をちゃんと訪れるのは1年ぶり・2回目。でも短時間なら、電車の待ち時間にしばらく街を歩いたり、たびたび来ている。高3のとき大学受験でも来た。

金沢駅から武蔵ヶ辻まで歩くとき、僕は一本わきの 「横安江町」 のアーケードをよく通る。
久しぶりで金沢に来てそこに行ってみたら、しばらく場所がわからなかった。アーケードが撤去されていたのだ。
アーケードがなくなり雰囲気がガラッと変わった。ポケットパークが整備され、小型バスが乗り入れてループ運行されているらしい。
上が今回の写真、下は以前撮った写真です。


カフェギャラリーに立ち寄り、シンプルな木の箸置きを買った。店員さんに 「アーケードが無くなったんですね。」 と聞くと、「去年の秋に撤去されました。すごく明るくなりました。」と答えてくれた。地元商店の方々には好評らしい。
ストレンジャーの僕としては、以前の暗めの雰囲気が好きだったっていうことも多少あるけど、でもこれは町づくりの成功例かもね。

さて、今回は日帰りだから、訪ねる建築をピンポイントで絞る。
駅からちょっとした距離を歩いて、成巽閣にたどり着いた。
お目当てのすごい空間というのは、お茶室 「清香軒」 の内路地です。
(絵ハガキをスキャン)


これはまさに 『開いた開口』 ではないか… 日本建築はやっぱりすごいね。
成巽閣は写真撮影禁止で、庭に降りることも禁止されている。だから僕は絵ハガキのように外からのアングルでは内路地を見ていない。清香軒の内側から見せていただいた。

清香軒は特別拝観あつかいで一般の人は入ってこない。拝観を申し出ると、係員さんが錠を開けて案内してくれ、いろいろ説明してくれる。僕が以前に出江寛さんや長岡造形大学の宮澤先生から教わった茶室の基礎知識が役立った。

内路地には (上の写真にはない) 雨戸が一部にはめられていた。雨戸の上部が障子のように紙貼りになっている。開口の位置としては 「雪見」 の逆の状態。
雨戸が開いたところから光が差し、路地はぼんやりと明るく、濡れた石が光っている。すずしい風が通り抜けてきた。
内路地は北陸地方特有のものだけど、遣り水まで引き込んだのは他に例がないそうだ。僕が惹かれたのもまさにそこで、流れをまたいで地面に敷居をまわしてしまう想像力・創造力は、本当にすごいと思う。
聞けばこの敷居は置き敷居で、夏には取り外されたりするらしい。また金沢は積雪がある土地なので、冬は雨戸を閉め切るが、雨戸の紙貼りから光が入り、そして辰巳用水を引き込んだ遣り水は冬でも枯れないそうだ。(清香軒の拝観は11月まで、4月から再開)

絵ハガキほどのフォトジェニックな光景は見れなかったけど、スケール感や空気の感じをしっかりと見届けた。
今日は梅雨の晴れ間の良い天気だったが、案内してくれた係員の女の子は 「雨の日は庭の苔の色がきれいになり、それは普段と本当に違う。私はそちらのほうが好きです。」 と教えてくれた。

成巽閣を出て、兼六園に初めて入ってみた。苔や池の水がきれいだ。このように洗練されていて歴史や文化の厚みが感じられる場所は、新潟にはそんなにない。
疲れたから、茶店で 「あんころもち」 とお茶をたのんで、縁台でいただいた。池の鯉の群れがすごく元気だった。

兼六園を出た後は、当然、『金沢21世紀美術館』 に行く。


ここは1年ぶり2回目だ。1年前のころ、僕は白井晟一の空間性にイカレていたので、21世紀美術館のことは 「真っ白だった」 という感想以外あまりおぼえていない。
でも今は、SANAAが建築を設計していくプロセスにすごく興味があるし、彼らのコンセプトを見出す眼力と、それを突き詰めていく姿勢をすごいと思っている。
今回は美術館の設計の経緯について、雑誌などで調べて予備知識を持ったうえでやって来た。

彼らのコンセプトは、美術館機能と交流機能をひとつにまとめ、円形の屋根をかけて、どこからでもアクセスできる 「広場」 をつくるというもの。
目の当たりにすると、円の直径が100m以上あり巨大なこと・その高さが1層分と低いこと・素材と色が絞られ、カーブガラスの外壁がツライチであることから、彼らがやろうとした 「広場」 が恐ろしく高い抽象度で実現されていると感じた。

展示は 『ゲント現代美術館コレクション展』。ベルギーのゲント市は金沢市と姉妹都市関係にある。
現代美術は、作者が作品に込めた批評精神や社会への主張がわかったときに、すごく面白く感じる。今回いろいろな作品を見て、作者の意図に気づき、それがシニカルかつユーモラスに表現されているので、思わずニヤニヤ笑いが止まらなくなってしまうことがたびたびあった。
また、お客さんも好奇心旺盛な人たちが多く、そしてどの部屋の学芸員さんも作品について熱心に語ってくれて、とても楽しかった。

SANAAの空間の抽象性は非常に高かった。展示室のプロポーションは、キュレイター側の要望から正方形や黄金比を基準に決められている。ある展示室は、平面のタテヨコも壁展開の天井高も、すべて同じ約10mで、こんな空間体験は今までになかなか無かった。
他では味わえない抽象性は、プロポーションに加えて、展示室も廊下も壁は白、床はコンクリート金ゴテ押えのタタキで統一されていることが大きかった。まるで、一度足を踏み入れたらなかなか抜け出せない現代アートの迷宮みたいだ。すごい建築を見せつけられた、という印象が強く残った。

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I visited Kanazawa.
People in Kanazawa were very gentle and kind. In Niigata, my ordinary surroundings, people are cool and unfriendly, if anything. At my office, staffs exchange greetings just in low voices. I realy don't like that.

But people in Kanazawa were very friendly. I was treated warmly by many people - the lady in the information center of Kanazawa Station, the receptionist of Kenroku-En, and the girl who guided me at Seison-Kaku.
I felt like getting back my humanity. It was so good.


...Modinha...

Sunday, May 21, 2006

Kazuo SHINOHARA and Masayoshi NAKAMURA

日曜日の朝、宿を出て、小田急線に乗る。
バスに乗り換えて、川崎市細山にある 『中村正義の美術館』 に行く。

中村正義は1924年に生まれ、1976年に癌のため亡くなった日本画家だ。現在、ご自宅だった場所が 『中村正義の美術館』 として、ご遺族により運営されている。

中村さんはいちおう日本画家にカテゴライズされているが、その作風は日本画という概念をはるかに超えて多岐に渡っている。また、生涯を通じてたくさんの自画像を描き続けたことでも知られている。
今回、『100枚の顔 展』 として、およそ100点の自画像が一堂に展示されている。

美術館の建物/中村さんの自宅は、篠原一男が1971年に設計した。
建築の世界では、篠原さんの作品として 『直方体の森』 という名前が付けられている。

『中村正義の美術館』 は、孤高のカリスマ建築家・篠原一男 (1925- ) の住宅空間を実際に体験できる数少ない場所である。そしてその空間に中村さんの自画像が100枚も展示されているとあって、僕はすごく期待して訪れた。
ヤンセンや武満の作品で味わったような感覚を、また体験できるのだろうか。


僕がこの美術館に来るのは、3度目か4度目だ。まず初めに訪れて体験をした後、建設当時の篠原さんの言説を読んだり図面を集めたりして、自分の勉強のために模型を作ってみた。

この建築の一番の特徴は、エントランスホールから奥の居間までがまったくの一直線上にあること、そのふたつが巾90cmの細い廊下でつながれていること、そしてその3つの空間がすべて2層分の高さを持つ吹き抜けであることだ。


とても劇的なんだけど、例えば茶室のにじり口や演劇の舞台装置のように、なにかの意味や視覚的効果を演出しようという意図とは、実はまったく無縁の空間である。
それは篠原さんの 「抽象」へと向かう強い志向から来ていると思うんだけど、この空間は個人住宅なのに、まるで古代の神殿のようなきびしさがある。

模型を作ったうえで3度か4度来てみて、今回ようやくスケールや空間の感じの理解が深まってきた。
奥の部屋の2層分の大きな壁には、中村さんの自画像がびっしりと飾られていた。
中村さんのご家族に話を聞くと、このようなかたちで自画像だけを100点も展示するのは初めてだそうだ。
高い抽象性で組み立てられた空間に、自画像だけが架けられている。
もう本当にきびしい神殿か寺院にでも迷い込んだようで、言葉も無かった。

椅子に腰を降ろしてスケッチをした。下手なスケッチだけど、情感や情念のようなものを記録しようとつとめて描いた。
上は僕あてに届いた今回の展覧会の案内をスキャンしたもの。この空間にこれらの絵が飾られている様子を想像してみてください。


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I went to The Museum of Masayoshi NAKAMURA. That was designed by Kazuo SHINOHARA as Masayoshi's residence.

I was soaked with those two Great Person's strong willpower.

I thought, "Now I have to go back to Nagaoka and fight against myself."


...Modinha...

Saturday, May 20, 2006

TAKEMITSU

北浦和で一泊して、土曜の朝に東京に向かった。

まず神田神保町かいわいへ行き、建築雑誌のバックナンバーなどを買った。
天気予報は雨がちだったが、実際の天気はすごく良く、強い日差しで汗をかいてしまう。磯崎さんの 『お茶の水スクウェア』 が青空に屹立している。まるでCG表現みたいに出来すぎた絵だ。


その後、渋谷に向かい、渋谷電力館に行く。『11人の著名建築家によるプロポーザルコンペ』 の結果がパネルと模型で展示されているのを見る。集合住宅の計画のコンペだ。
一等の長谷川逸子案は、30戸ちかい住居を分棟させて、敷地に分散配置している。西沢立衛の 『森山邸』 を連想する。この種の分棟分散タイプは、これからコンペや学生の設計案などで、流行・消費されていくんだろうな。

http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/free/NEWS/20060519/129563/

渋谷から地下鉄で乃木坂へ行く。TOTOの 「ギャラリー間」 で 『手塚貴晴+手塚由比展』 が開かれている。
最新計画案の 『ふじようちえん』 の模型が展示されていた。この模型はすごく大きく、部屋いっぱいに展示されていた。1/10というスケールなので、屋上のウッドデッキの張り継ぎの位置など、細部の表現もかなり意識されている。
かたわらの壁面には 『ふじようちえん』 の小さいスタディ模型がたくさん展示されている。初期イメージを探るためらしい、ざっくりとした模型だ。数えてみたら63個あった。

ギャラリーの中庭は、コールテン鋼製の 『キョロロ』 の模型を使ったインスタレーション。上のフロアは、さまざまな計画案のスタディ模型のおびただしい山だった。今日は会期の最終日で、ギャラリーは建築学生でいっぱいだった。


ギャラ間をあとにして、初台の東京オペラシティに向かった。アートギャラリーで 『武満徹 Visions in Time 展』 が開かれている。
代々木上原で乗り換えるとき、天気予報どおりに雨が降ってきた。それもひどい雨だ。

オペラシティに着く。ところどころに見られるコンクリート打放しの柱は杉板型枠、アートギャラリーの内壁はクロス貼り+EP仕上げ、どちらも設計者の柳澤孝彦さんのデザイン・ボキャブラリーだ。杉板型枠の幅がかなり広い割りなので、あまり繊細な印象は感じない。
着いたのはもう夕方で日が暮れた後だった。アプローチの照明計画が見事だった。エスカレーターホール全体の明りをしぼり、エスカレーターの手すり子部分にしこまれた照明が浮き上がる。そしてその行く先に光って見える、オペラシティのロゴマーク。


『武満徹展』 の会場に入った。現代音楽を代表する作曲家・武満徹が亡くなって今年で10年だ。
『ノヴェンバー・ステップス』 の直筆スコアが展示されていた。曲を演奏するための指示の集積である楽譜だけど、グラフィック表現としてとらえてみても独特の魅力がある。すぐれた建築図面と近い種類の魅力だ。

彼が創作イメージを触発された芸術作品が展示されたコーナーがあった。キャプションには 「武満徹ほど、他の芸術家と『交感』した芸術家は無い」 と書かれていた。

オディロン・ルドンの油彩画 『眼を閉じて』 があった。眼を閉じた人物の正面の顔の、首から上の部分が描かれているが、画面の下方に地平線のような線がある。
巨大な頭部が地面から顔を出しているようにも見える。すごく不思議な絵だ。

絵の前にはベンチが設置してあり、その上にヘッドフォンが置いてある。武満がルドンの絵から触発されて作曲したピアノ曲 『閉じた眼-瀧口修造の追憶に』 が聴けるようになっている。
ベンチに腰をおろし、ヘッドフォンを耳にはめた。武満のピアノ曲が流れる。目の前にはルドンの絵が架かる壁がある。
展覧会には何組かの客が来ている。皆さんだいたいヘッドフォンをスルーしていくか、ちょっとだけ耳に当てた後、連れと一緒に次に進んでいく。つかの間、展示室には僕と曲と絵だけになる。
僕はたいがいひとりで行動している。ひとりというのはやりきれなく脆く弱いものだが、ときどきものすごく豊穣な時間が来ることがある。武満の曲とルドンの絵にひたされて、僕は考え事をした。

僕は建築に親しむより前に、美術や音楽に親しんだ。長岡から仙台に出て最初の大学に入り、建築学科に籍を置くようになったけど、学校なんか行かなかった。
武満の曲も昔よく聞いた。マンドリン・オーケストラに入って馬鹿みたいに楽器を練習したり、宮城県美術館の展示が入れ替わるたびに通いつめて絵を見たりして過ごした。そのうち大学を追い出された。

僕は折にふれ、芸術作品に心を動かされる体験を繰り返してきた。その何ともあやしいエネルギーが、今の僕を作り上げてきた。最近忘れがちだったけど、武満とルドンによってその感覚をひしひしと思い出した。

でも僕は今に到るまで、いまだに建築の世界にとどまっている。それは単に僕の性格のせいだ。いちど始めたことはなかなかやめない性格であるだけだ。とくに建築の才能があるわけではないし、もとより絵や音楽の才能に恵まれたわけでもない。本当になにかの才能があれば、もうすでになにかを成し遂げているだろう。
じゃあなぜ建築を続けているのか。なにか僕が惹かれている部分があるはずだ。

長岡に戻ってきた頃から、意識してたくさんの建築を訪ね歩いてきた。音楽や絵に感動するのと同じように建築空間に感動したことも何度かあった。
でも、建築イコール 「美」 ではないと思う。審美的な見地からだけ建築をとらえるのは間違っている。建築は何よりもまず社会的な存在である。社会と切り離されたところで建築単体がいくら美しかったとしても、僕はあまり意味を感じない。
僕にとって建築は、社会と自分を知るためのツールなんじゃないだろうかと思う。建築を考えることで、芸術のあやしいエネルギーにつちかわれてきた僕が、社会に自分をどう表明していくか、その立ち位置がさぐれるような気がする。

ツール:道具ととらえたのには意味があって、僕はいままでに、先輩建築家たちが、どのようにして最初の発想を基本設計段階までディベロップしていったか、その具体的な手段をいくつか知ることができた。さきほど見てきた手塚夫妻の63個のスタディ模型も、その具体的な手段のひとつだ。ツールとしてとらえたとき、建築は僕がやろうとしていることにおいて非常に有力に働くだろうと思われるのだ。

建築は個人的な衝動・動機から出発するけれども、具合的な手続きを経て、最後には社会において具体物として建つ。僕はそこに惹かれている。これをあらためて認識した。
どの段階も揺るがせにできないし、各段階で何をどうしたらいいか、僕は知っている。僕は建築を自分の道具として使いたおそうと思った。

……さてさて。すごく青臭くなってしまった。もうこの段階でこれ以上頭を使う必要はないだろう。
『武満徹展』では、彼のアトリエの様子も再現展示されていた。昨日のヤンセンのアトリエとは対照的に、すごく几帳面に整理されていた。

前回ログと同様に、武満のアトリエの様子を紹介したいと思います。上の写真で僕が持っているのは、『芸術新潮』 2006年5月号、記事の写真は広瀬達郎氏撮影。武満の机の上に、鉛筆と消しゴムが長さの順にそろえて並べられていたのが印象的だった。


http://www.operacity.jp/ag/

このまま長岡に帰ってもよかったけど、芸術と建築を同時に考えることができる場所が、実はもう一ヶ所こちらにある。今日は東京に泊まり、明日そこを訪ねることにした。

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I went to Tokyo Opera City Art Gallery. The exhibition was "TORU TAKEMITSU : Visions in Time".
Sometimes I had listened to his music before.

With listening his music at Opera City, I thought about the beauty and the architecture for me, as like I had done at JANSSEN RETOROSPECTIVE.


...Modinha...

Friday, May 19, 2006

Horst JANSSEN

金曜日から小旅行に出た。
長岡から鈍行を乗り継いで、埼玉の北浦和駅に着いた。
駅からほど近い都市公園に、埼玉県立近代美術館がある。黒川紀章設計のフレーミーな建物では、『ホルスト・ヤンセン展』 が開かれていた。

ホルスト・ヤンセン (1929-1995) は、「デューラー以来の素描家」 と呼ばれたドイツの画家で、凄まじいまでの表現力の持ち主だ。
どんな感じの絵を描くか、興味がある人は美術館へのリンクで確かめてみてください。

http://www.momas.jp/

葛飾北斎をはじめとする日本画に深く傾倒し、また自身の作品にたびたび和紙を使った。ヤンセンが使った和紙は、新潟県小国町を中心に活動している和紙作家・坂本直昭さんが漉いていた。小国町でヤンセンの作品展が開かれたこともあり、僕は何度かヤンセンの作品を目にしていた。

今回の埼玉の展覧会で僕が一番印象的だったのは、「ヤンセンのアトリエ」 と題された一画の展示だ。そこには花や静物を描いた作品が展示されていた。
彼のアトリエは雑然をきわめ、画材や絵のモチーフで埋め尽くされていたらしい。

『エルンスト・ユンガーのために』 という静物画は、小鳥の死骸や骨が机に置かれていて、それを真上から見下ろした構図で描かれている。鉛筆の線描に精妙に色が塗り加えられている。透明水彩のドライブラッシュかと思ったら、画材は色鉛筆とパステルだった。

僕はこれを見て、10年ほど前に見たある絵のことを思い出した。アンドリュー・ワイエスの 『追越し車線』 という絵だ。
アメリカのハイウェイの隅っこで、リスが轢かれて死んでいる。ワイエスはその様子を水彩画に描き、仕上げに道路で死んでいるリスの血を、絵のリスの傷口になすりつけた。当時、僕は絵を見てそのエピソードを知って 「ふーん」 と感心した。
でもそれはヤンセンの絵と比べてみると、どうなんだろうか。

ヤンセンの絵とワイエスの絵は、小動物の死骸というモチーフは共通だし、描写力は二人とも群を抜いている。
でもヤンセンの絵は、ワイエスの絵から感じられる物語性とか感傷とかとはまったく関係なく、対象がただ 「ものそのもの」 としてとらえられ、生々しくこちらに迫ってくる。今回、僕はその 「ものそのもの」 という感覚に強く魅かれた。

ヤンセンは淋しがり屋で破滅型のトラブルメイカーで、絵の着想を得るまでは酒場とかでグダグダと過ごしたが、ひとたび着想が浮かぶと、アトリエにこもって電話線を引き抜き、鬼気迫る絵を描きあげたそうだ。

ミュージアムショップでヤンセン本人を写した写真集を買ってきた。雑然としたアトリエの様子も写っている。
そのままスキャンしてこのブログに載せたりするのは問題がありそうなので…
彼のアトリエの様子はこんな感じです。
Nomi BAUMGARTL : "HORST JANSSEN" より

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With holding my dissatisfaction, I went to Saitama, to watch "HORST JANSSEN RETROSPECTIVE" at Museum of Modern Art Saitama.

I was really shocked by JANSSEN's work.
I could not stop to consider what I really should do.


...Modinha...

Saturday, May 06, 2006

bicycle

きょうは僕の黄色い自転車について書こうと思います。
前回のログでは、20km(推定)の道程にわたって僕をサポートしてくれました。

僕はこれに乗り始めて3年目に入ったところだ。
「ビアンキ」 社の 「アリカント」 というモデルだ。でもこれ本当はレディースモデルなんだよね。

ビアンキ アリカント
僕は自転車に乗るならぜったい、黄色にしようと思っていた。
宮内のロードバイク専門店 「Fin's」 に行って、ちょっと型落ちのクロスバイクを探していたら、こいつが見つかった。
他の男性用サイズのやつをすすめられたりもしたけど、それよりもこれの方がきれいな黄色だったこともあり、結局これを選んだ。

乗っていて 「もう一段高いギアがあればいいな」 と思うときもあるけど、ふだん乗るにはすごく便利だ。軽くて乗りやすい。
泥除けとチェーンガードが付いてるからいつでも気軽に乗れるし、荷台にはカバンや買い物袋が挟み込めるようになっていて、すごく重宝する。
いままでの最長不倒距離は、六日町まで往復した110kmくらいだろうか。

ところで、なんで自転車は黄色がいいかと言うと、東京日本橋の設計事務所でアルバイトをしていたとき、事務所の黄色い自転車を借りてよく乗っていたからだ。
東京の街を自転車で走るのは便利だった。そしてすごく楽しかった。
そのとき自分撮りした写真です。


昼間は銀座の伊東屋まで画材の買出しによく使った。夜、事務所の人たちが帰り、僕ひとりになると、自転車にまたがって東京探検に出かけた。
上野くらいはすぐだったし、丸の内や有楽町にもよく行った。渋谷くらいまで行ったような行かなかったような… とにかく山手線の右側半分くらいの範囲は行動範囲だった。

そのときの楽しかった思い出があるので、乗るなら黄色い自転車以外考えられなくなってしまったのです。

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My bicycle is colored yellow. I love to ride it.

I like yellow bicycles.
Because 4 years ago when I had been Tokyo for 2 weeks, I borrowed a yellow bicycle and rode it around over Tokyo.
It was so fun, and I took a fancy to yellow bikes.


...Modinha...

Saturday, April 29, 2006

around "Fukushima-E"


長岡駅の近くの 「福島江用水」 は、桜のスポットとして知られている。上の写真は27日木曜日に撮ったものだけど、まだ花がきれいでした。去年は女の子と夜桜を見物して楽しかった。今年はあいにくそういう機会には恵まれなかった。

僕の部屋は長岡駅から北に3kmほど離れた場所にあるんだが、すぐそばを福島江が流れている。駅より上流にあたる。


ここにおよそ1年前に引っ越してきたときは、川の水量がすごく多いので、雨の時など少し心配になった。
そのうちこの川が福島江用水であることがわかり、上流で水量調節をしているようなので増水することは無いらしいと知った。
それまでは福島江と言えば駅のそばの流れしか知らなかったものだから、新しい住まいの近くに福島江が流れているのは新鮮だった。

豊かな水の流れが住まいのすぐそばにあるというのは、とてもいいですね。川っぺりがずーっと畑に使われていて、いい感じだ。


ところで、ここ数日間の福島江の水量は、とても多い。僕がこの部屋に来てから一番多い気がする。
朝でも夜でも、部屋には水が流れる音がすごくよく聞こえる。そのせいか熟睡できる。


僕は以前、大分県の山奥の、とある町に一泊したことがあって、そこは川と生活が一体になった小さな町で、一晩じゅう川の水音を聞きながらぐっすり眠った。
その時のことはいずれ書く機会があると思うけど、今の僕の長岡の部屋は、ちょうどその体験を思い出すような、いい水音なのだ。

福島江のことを少し調べてみたら、長岡市と小千谷市との境の 「妙見堰」 から取水して、流量を調整しているらしい。
そこには 「妙見記念館」 があり、福島江のくわしい展示がされているということだ。
今日は祝日なので、自転車で妙見堰に行ってみようと思った。


午後から部屋を出た。今の福島江は本当に水が多い。そろそろ田植えの時期だから、それに備えているんじゃないかな。

1時間ほど走って、妙見堰がある 「越の大橋」 に着いた。
ここは山古志へ向かう道路の分岐点にあたる。山古志方面への道は、地震からの復旧作業の真っ最中で、いまだに通行止めだ。


妙見記念館の入口に行ってみると、閉まっていた。「当面は土日祝は休館します」との掲示がある。ありゃりゃ。
福島江について知ることはできなくなってしまったけれど、せっかく来たから大橋を渡ってみることにした。


橋の上からは、妙見堰の大きな水門がすぐ真下に見えた。
川の水が渦を巻いている。魚が通れるように 「魚道」 なんかもあった。





そして上流には、いまだに地震で崩れたままの国道が見える。生々しい爪痕だ。復旧作業をしているのも見える。
たしか家族が車で生き埋めになり男の子だけ救出された現場のはずだ。僕は地震後しばらくは避難所暮らしだったので、ニュースなど見てなくて、実は詳しく知らないんだけどね。とにかく心の中で手を合わせた。


橋を渡りきった。まわりの田んぼには水が入りはじめている。
せっかくだから、越路まで行ってみようと思った。
越路町は長岡と合併して現在は 「長岡市越路」 になったはずだ。そして新潟の日本酒のトップメーカー 「朝日酒造」 の本社がある。



先日、朝日酒造は新工場を竣工して、県内ニュースでたびたび取り上げられた。「久保田」 なんかもここで作られている。

実は、その新工場を設計したのは、僕がいま仕事をしている設計事務所なのだ。
新工場を正式に見学する機会が先週あったのだけど、あいにく僕は手持ちの作業が立て込んでいて、参加できなかった。だから新工場を見るのは、今日が初めてだ。エントランスの見学用ホールはいつでも開放されているはずだ。



えっちらおっちらペダルを漕いで、朝日酒造の新工場に着いた。
僕はここのスタディ模型を何度つくらされたことか。僕は模型でしか関わっていないけど、実物を見ても、設計者側によって込められた気合みたいなものが感じられる建物だ。

ところが見学ホールは開いていなかった。まあ祝日だしもう夕方近いし仕方ないか。
こんなことならちゃんと口利きしといてもらえば良かったけど、僕はもともと今日来る予定でも無かったわけだし、新工場見学に関しては次の機会を楽しみにしておこう。

売店に立ち寄った。朝日さんは日本酒も良いけど、売店で売っているお菓子や惣菜がまた美味しいのだ。

僕が好きな野菜の味噌漬けは、添加物なしのストロング・スタイルで、「ザ・新潟の味噌漬け」 というガチンコな風味がたまらない。
でも今日は味噌漬けはパスして、日本酒をしみこませた 「酒ケーキ」 と、あと 「ふきのとうの甘酢漬け」 をおみやげに買った。

売店には 「日本酒博物館」 が併設されている。僕はいまだに入ったことは無かったので、今日は初めて入ってみた。


いろいろ面白いものが展示されている。空間的には奇しくも昨日のログと同じトラス架構だ。木造の、いわゆる 「洋小屋トラス」 である。



さあそろそろ水音がする僕の部屋に帰ろうか。田んぼに掛かる空も夕焼け色になってきた。
思いがけない遠出になった。今日はいっぱい漕いだ。いろいろな物が見れて実り多い日になった。

福島江、妙見堰、朝日酒造へのリンク↓

http://www.e-net.city.nagaoka.niigata.jp/hakken/03_hakken/shousai013.html

http://hrrmlit.hokurikutei.or.jp/~shinano/office/sisetu/myouken/index.html

http://www.asahi-shuzo.co.jp/oshirase/20060406.html

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An artificial river for agricultural water, nemed "Fukushima-E", is running near my borrowing flat.
Charming water sounds are able to be heard when I'm in my room.

I wanted to see the head gate of Fukushima-E.
I rode my bike and went to the gate, "Myouken-Seki". I could watch heavy flowing waters and also the crushed montain road by the last Great Earthquake from the gate bridge.

After that I rode my bike to Koshiji.
I went to Asahi-Syuzo, the top maker of SAKE in Niigata.
I watched the brand-new SAKE plant and the small museum of making SAKE.


...Modinha...